フィリピンの歴史


 フィリピンの歴史の起源については、ポルトガルの探検家フェルディナンドマゼラン
 を始まりとするよりは、むしろ、13世紀にボルネオから10人の酋長が、各々親類
 100人を率いて現在のビサヤのパナイ島に上陸したことから始まるといえます。
 とはいうものの、フィリピン群島を当時の世界に知らしめたのは、マゼランとそれに
 後続するスペインの探検隊でした。1521年3月15日に、サマル近くのハモンハモン
 という小島に着陸したあと、マゼランはフィリピンの 「 発見者 」 とよばれるように
 なりました。セブはスペインの最初の植民地となりました。


 群島は、時のスペイン王フィリップ2世にちなみ 「 フィリピン 」 と名づけられました。
 入植者にとってフィリピンは 「 新世界へのとびら 」 といえるほど、戦略的な位置に
 ありました。北方には中国をひかえ、南方にはインドネシア諸島へとつづいています。
 国の最北端はバタネス島グループのヤミィで、台湾の南部から241キロメートルの
 ところに位置し、最南端の先端はタゥイタゥイ島グループのシブトゥで、ボルネオから
 ほんの14、4キロメートルのところに位置します。このような地理上の優位にあって
 フィリピンは周辺地域における商業の中心となり、マニラとセブが最初の貿易都市と
 なりました。


 この国は3つの主要な島から成り立ちます : ルソン : ビサヤ : ミンダナオ
 北部は最大の島ルソン島から成ります。ビサヤ地域はおよそ6000もの島を有し
 そのなかで大きなものはパナイ、レイテ、サマル、セブとボホールです。
 ミンダナオは2番目に大きな島で、その周りを400の小島が囲んでいます。
 スペインによる支配が19世紀まで続きましたが、幾度か反乱も起こり
 3人の聖職者  ゴメス、ブルゴス、サモラ はその政治的活動により処刑
 されました。彼らが組織した改革派グループの活動は、後のフィリピン革命への
 道を開いたといえます。
 医師であり作家でもあったホセ・リサールは、彼の2つの著書「Noil Me Tangere」
 「El Filibusterismo」 を通じてスペイン支配に対する痛烈な批判を行いました。
 後に逮捕されて、30歳で処刑されましたが、フィリピンの国民的英雄として知られ
 アジアにおける初の国家主義者として認められています。
 米西戦争のあと1898年にフィリピンはアメリカに譲渡され、1935年には選挙で
 選ばれた大統領マニュエルケソンの下で自治権を回復します。
 第二次大戦中は日本に占領されますが1947年7月に独立を勝ち取りました。




   
日比谷公園の中にホセリサール 氏 の
銅像がありました。 ビックリ!!
天皇に親書を渡すために日本に滞在して
帝國ホテルに宿泊したと台座に書いてます。




このペ−ジのフィリピンの歴史・データ
下記のフィエスタの国のページは
2006年11月11、12日に
日比谷公園で催された
第1回フィリピン・フィエスタで
配られていた雑誌の文章を
そのまま戴いてます。

      フィリピン フィエスタ公式ページ へ









データ

7107以上の島からなり、他民族の多言語国家です。2つの公用語
_タガログ語と英語_が話され、その他の方言としては
セブアノ、イロカノ、ヒラガノン、イロンゴ
ビコール、ワライ、パンパンガ、パンガシナンなど。
英語人口は世界3番目にあたります。
フィリピン人の大部分はマレー系で占められ、スペイン、中国
インド、アメリカ、日本の血をひく者もいます。
主要な民族はタガログ(28%)、セブアノ・ビサヤ(20%)
イロカノ(9%)、イロンゴ(7%)です。
2006年7月現在、フィリピン人の人口は8950万人で
14歳以下が35%、15〜64歳が61%を占めています。
年齢分布の平均値は22,5歳で人口増加率は、およそ1,8%です。
フィリピンは世界で5番目に大きなキリスト教国家です。
93%がキリスト教で、そのうち81%はローマカトリックです
カトリック教はスペイン統治時代の最大の遺産といえるでしょう。
南部ミンダナオには5%のイスラム教徒がいます。

フィリピン・フィエスタにて・・・・コンサートやビンゴ大会 フィリピンの食べ物・飲み物の店 電話会社・旅行会社・コンドミニアム等他多数出店してました